パクリだよ!全員集合。J-POPヒット曲ここ20年似たものばかり=だって売れるんだもん [芸能]
桑田佳祐や長渕剛など有名歌手の作詞作曲方法を“マネて”、いかにも彼らが歌いそうな架空の曲を歌う“作詞作曲モノマネ”で注目を集めているマキタスポーツ(44才)が、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社)を上梓した。
音と笑いを融合させた独特なミュージシャンでありながら、2012年には『苦役列車』で俳優デビュー。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』にも、少しだけ登場し話題を呼ぶなど、その幅広い活動ぶりに期待が高まっている。
2001年より『マキタ学級』というバンドを率いて、音楽活動を行ってきた彼は、自らを“構造分析フェチ”と呼ぶ。
「“なぜこれは、こうなっているのか?”と思うと、徹底的に考えちゃうんです。そういう性質なんでしょうね」(マキタスポーツ・以下「」内同)
そんな元来の思考回路を駆使し、法則を導き出すフェチ気質を生かして、過去30年間に及ぶ膨大な数のヒット曲から、J-POPの構造を細かに分析した本書は、なんとも挑発的なタイトルだ。
「“あの曲は、この曲のパクリだ”“この部分はあの歌のここにそっくりだ”といった論争が、ネットなどを中心に繰り返されていますが、そんなレベルではなく、私があえて言いたかったのは、ほぼすべてのJ-POPには元ネタがあり、そこから引用して再構成している、ということです」
山梨県のとある町で、体操着やジャージーなどを扱う地域密着型スポーツ店「マキタスポーツ」の次男として生まれ育った著者。
「ぼくはわんぱくな田舎の子で、ピアノを弾いているような奴をバカにしていたのが、中学生になってからギターを始めたわけです、モテたい一心で。当時、ギターを教えてくれていた兄の友人から、長渕剛さんが教えるギターの弾きかた講座のカセットテープを借りて聞いたら、長渕さんが、ボブ・ディランや吉田拓郎さんの弾きかたの癖を分析し、彼らのマネをしてギターを弾いていたんです。それに衝撃を受けて、“そうか、マネをするには、分析が必要なんだ”と気づいた。この経験がぼくの原点です」
東京の大学を卒業後は、実家のある山梨県へ戻り、地元のモスバーガーに就職。副店長になるも半年で退社。周囲は反対したが、なぜか“きっとオレの才能は認められる”という根拠のない自信があったという。
「中学3年の頃から、友達に“作詞作曲モノマネ”のネタを見せるとウケていましたし、ぼくは歌も歌えて楽器も弾ける。だからなんとなく、“芸能界にいつか行くんだろうなぁ”と思っていた。田舎の青年にありがちな話ですが。それで、東京に出れば、誰かに発掘されるだろうというシンデレラストーリーを期待して23才の時、再び上京。でも、当然のごとく、バイトに明け暮れているだけの自分には、誰も声をかけてくれるわけがない。気がつけば27才。そこでやっと、“このままでは誰も発見してくれない”と気づいたんです」
一念発起した彼は、ネタを作り、舞台に上がり、ピン芸人として活動を開始。前述のように2001年より『マキタ学級』というバンドで音楽活動も始め、本格的に歌と笑いを融合したネタを発表するようになる。そのネタ作りの過程で、前述のように彼は音楽のひとつの本質に気づく。
「“J-POPは、似たような曲ばっかりだ”といわれますが、まさにその通り、ということです。ここ20年のヒット曲は、どれも似たようなフレーズを使ってばかり。例えば、毎年2月頃になると、歌詞に“桜”が入った曲をよく耳にします。“またかよ”とそのたびに苦笑していましたが、考えてみたら桜の他にも翼、扉、奇跡、夢、永遠、ありがとうなど、20種類弱の定型句が使い回されていた。これでは似ないわけがない」
<引用元 NEWS ポストセブン J-POPヒット曲 桜、翼、扉などここ20年似たフレーズが多い>
【人物紹介】
マキタスポーツ(1970年1月25日は、日本のお笑い芸人、ミュージシャン、俳優。本名は槙田雄司(まきたゆうじ)。
山梨県山梨市出身。山梨県立日川高等学校、国士舘大学卒業。
大学卒業後、実家山梨に戻り、モスバーガーの副店長として勤務するも半年で退社。
フリーター生活を経て、28歳のときに芸人デビュー。
浅草キッドが主催していたライブ「浅草お兄さん会」でデビューし、第5代チャンピオンとなる
ハチミツ二郎(現:東京ダイナマイト)とインディーズ事務所・トンパチ・プロを立ち上げるも、2年ほどで解散。
R-1ぐらんぷり2011で準決勝進出。
2012年1月20日には、TBSテレビ『中居正広の金曜日のスマたちへ』に出演。
音楽研究家として過去30年間のヒット曲から「ヒット曲の法則」を分析し、その法則に則り制作した、
「十年目のプロポーズ」を発売
最近は俳優として映画・ドラマ出演も行っており、映画『苦役列車』で
ブルーリボン賞新人賞・東京スポーツ映画大賞新人賞を受賞
いや〜マキタスポーツさんも人が悪い。パクリだなんてそれを言っちゃあお終いよ。
だってみんな考えることはだいたい同じなんだもん。
さて、まじめに考えると『翼、扉、奇跡、夢、永遠、ありがとう』ってここ20年ばかりの平成不況からの脱出。
私達、一人ひとりが現状の鬱屈した環境から出て行きたい開放されたいって思いが募ってるんじゃないでしょうか?
バブル世代のバンドは元気がなくなった日本に対して嘆きを表すし、その次のバブルジュニアのバンドは
鬱屈のど真ん中なので『翼、扉、奇跡、夢、永遠、ありがとう』というフレーズがたくさん出てくる。
それに、みんなが共感して曲が流行っても何も不思議じゃないよね。
もちろん、音楽で商売をしようとするのだから売れる曲を作ろうとするのは当然。娯楽を商売にするのだから
みんなにより受け入れられやすい商品を作るのは商業行為上しかたがない部分があります。
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音と笑いを融合させた独特なミュージシャンでありながら、2012年には『苦役列車』で俳優デビュー。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』にも、少しだけ登場し話題を呼ぶなど、その幅広い活動ぶりに期待が高まっている。
2001年より『マキタ学級』というバンドを率いて、音楽活動を行ってきた彼は、自らを“構造分析フェチ”と呼ぶ。
「“なぜこれは、こうなっているのか?”と思うと、徹底的に考えちゃうんです。そういう性質なんでしょうね」(マキタスポーツ・以下「」内同)
そんな元来の思考回路を駆使し、法則を導き出すフェチ気質を生かして、過去30年間に及ぶ膨大な数のヒット曲から、J-POPの構造を細かに分析した本書は、なんとも挑発的なタイトルだ。
「“あの曲は、この曲のパクリだ”“この部分はあの歌のここにそっくりだ”といった論争が、ネットなどを中心に繰り返されていますが、そんなレベルではなく、私があえて言いたかったのは、ほぼすべてのJ-POPには元ネタがあり、そこから引用して再構成している、ということです」
山梨県のとある町で、体操着やジャージーなどを扱う地域密着型スポーツ店「マキタスポーツ」の次男として生まれ育った著者。
「ぼくはわんぱくな田舎の子で、ピアノを弾いているような奴をバカにしていたのが、中学生になってからギターを始めたわけです、モテたい一心で。当時、ギターを教えてくれていた兄の友人から、長渕剛さんが教えるギターの弾きかた講座のカセットテープを借りて聞いたら、長渕さんが、ボブ・ディランや吉田拓郎さんの弾きかたの癖を分析し、彼らのマネをしてギターを弾いていたんです。それに衝撃を受けて、“そうか、マネをするには、分析が必要なんだ”と気づいた。この経験がぼくの原点です」
東京の大学を卒業後は、実家のある山梨県へ戻り、地元のモスバーガーに就職。副店長になるも半年で退社。周囲は反対したが、なぜか“きっとオレの才能は認められる”という根拠のない自信があったという。
「中学3年の頃から、友達に“作詞作曲モノマネ”のネタを見せるとウケていましたし、ぼくは歌も歌えて楽器も弾ける。だからなんとなく、“芸能界にいつか行くんだろうなぁ”と思っていた。田舎の青年にありがちな話ですが。それで、東京に出れば、誰かに発掘されるだろうというシンデレラストーリーを期待して23才の時、再び上京。でも、当然のごとく、バイトに明け暮れているだけの自分には、誰も声をかけてくれるわけがない。気がつけば27才。そこでやっと、“このままでは誰も発見してくれない”と気づいたんです」
一念発起した彼は、ネタを作り、舞台に上がり、ピン芸人として活動を開始。前述のように2001年より『マキタ学級』というバンドで音楽活動も始め、本格的に歌と笑いを融合したネタを発表するようになる。そのネタ作りの過程で、前述のように彼は音楽のひとつの本質に気づく。
「“J-POPは、似たような曲ばっかりだ”といわれますが、まさにその通り、ということです。ここ20年のヒット曲は、どれも似たようなフレーズを使ってばかり。例えば、毎年2月頃になると、歌詞に“桜”が入った曲をよく耳にします。“またかよ”とそのたびに苦笑していましたが、考えてみたら桜の他にも翼、扉、奇跡、夢、永遠、ありがとうなど、20種類弱の定型句が使い回されていた。これでは似ないわけがない」
<引用元 NEWS ポストセブン J-POPヒット曲 桜、翼、扉などここ20年似たフレーズが多い>
【人物紹介】
マキタスポーツ(1970年1月25日は、日本のお笑い芸人、ミュージシャン、俳優。本名は槙田雄司(まきたゆうじ)。
山梨県山梨市出身。山梨県立日川高等学校、国士舘大学卒業。
大学卒業後、実家山梨に戻り、モスバーガーの副店長として勤務するも半年で退社。
フリーター生活を経て、28歳のときに芸人デビュー。
浅草キッドが主催していたライブ「浅草お兄さん会」でデビューし、第5代チャンピオンとなる
ハチミツ二郎(現:東京ダイナマイト)とインディーズ事務所・トンパチ・プロを立ち上げるも、2年ほどで解散。
R-1ぐらんぷり2011で準決勝進出。
2012年1月20日には、TBSテレビ『中居正広の金曜日のスマたちへ』に出演。
音楽研究家として過去30年間のヒット曲から「ヒット曲の法則」を分析し、その法則に則り制作した、
「十年目のプロポーズ」を発売
最近は俳優として映画・ドラマ出演も行っており、映画『苦役列車』で
ブルーリボン賞新人賞・東京スポーツ映画大賞新人賞を受賞
いや〜マキタスポーツさんも人が悪い。パクリだなんてそれを言っちゃあお終いよ。
だってみんな考えることはだいたい同じなんだもん。
さて、まじめに考えると『翼、扉、奇跡、夢、永遠、ありがとう』ってここ20年ばかりの平成不況からの脱出。
私達、一人ひとりが現状の鬱屈した環境から出て行きたい開放されたいって思いが募ってるんじゃないでしょうか?
バブル世代のバンドは元気がなくなった日本に対して嘆きを表すし、その次のバブルジュニアのバンドは
鬱屈のど真ん中なので『翼、扉、奇跡、夢、永遠、ありがとう』というフレーズがたくさん出てくる。
それに、みんなが共感して曲が流行っても何も不思議じゃないよね。
もちろん、音楽で商売をしようとするのだから売れる曲を作ろうとするのは当然。娯楽を商売にするのだから
みんなにより受け入れられやすい商品を作るのは商業行為上しかたがない部分があります。
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