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最近テレビ出演していない戦場カメラマン渡部陽一さんの今 [芸能]

「戦場カメラマンの一番の願いは失業することだ」――。取材中に戦地で散った写真家、ロバート・キャパ(享年40)の名言である。

 ウクライナ・クリミア半島、シリア、中国雲南省、北朝鮮……。世界のあちこちでキナ臭さが増している。危険を覚悟で現地を取材するジャーナリストの仕事の重みも増すが、日本で一番“有名”な戦場カメラマンといえば渡部陽一氏(41)。

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 3年ほど前にタレントとしてブレークすると、テレビ出演が激増。「笑っていいとも!」(フジテレビ系)のレギュラーにもなった。最近はテレビで見る機会がめっきり減ったが、やはり戦場カメラマンの血が騒ぎ、ウクライナや中国に行っているのだろうか? 所属事務所に聞いてみると……。

「昨年はシリアやアフガニスタンに行って、本来の取材活動もしていますが、今は日本にいます。主に小学校、中学校、高校や企業で講演会をやっているんです。現地で見たこと、聞いたこと、各国の文化を伝えています。東京だけじゃなく、日本全国を回っています。写真展をやったり、一時期に比べたら回数も減りましたが、スケジュールが合えばテレビにも出ると思います。まあ、なかなか合わないですが。今の仕事の割合は講演会が多いと思います」

 世界の紛争地域の「今」を写真に収めるのが戦場カメラマンの本分だが、渡部氏は講演会で「安全最優先で動いています。家族が第一、仕事は第二」と話している。

渡部 陽一(わたなべ よういち、1972年9月1日 - )は、日本の戦場カメラマン、フォトジャーナリスト、タレント。
初代・富士市観光親善大使。

静岡県富士市出身。静岡県富士市立田子浦小学校、同市立田子浦中学校卒業。

中学時代は生徒会長を務め、静岡県立富士高等学校に入学する。

静岡県立富士高等学校卒業後、「バンカラにあこがれて」という動機により早稲田大学を目指し2年間の浪人の末、明治学院大学法学部に進学した。

落合信彦の著書に登場する弁護士の存在を知り、「弁護士や検察官など、困っている人を助ける仕事に就きたい。」と思い、大学の法学部に入学。

初の撮影写真が記載された雑誌は『サンデー毎日』である。時に「サムライジャーナリスト」を名乗る

2011年3月から4月にかけて、東日本大震災の被災地である岩手県大船渡市、陸前高田市、宮古市などを取材している。「津波の被害は本当に想像を絶するもの。そこには世界中まわっても見たことのない厳しい現状が広がっており、僕は言葉を失ってしまいました。」と述べた。

2011年3月27日、東京都オリナス錦糸町で、「少しでも役に立ちたい。」と、当初予定していたイベントの代わりに、東日本大震災被災者への募金活動を行った。

ご本人の公式サイトでたくさんの生々しい写真が公開されていました。背筋が凍るほど怖かったです。 日本にいるとまず目にしないものばかりです。渡部陽一さんのような戦場ジャーナリストの方々がいて初めて 知ることができる世界だと思いました。

公式HPへ(刺激が強いので自己責任でお願いします。)
http://yoichi-watanabe.com/






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